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手付かずの哲学 ・家族間犯罪について。  2008年1月31日

 家族・親族間の犯罪増加を哲学する。





 子供が親を殺す時代。

 個別の話はさておくが、昨年から今年にかけて家族間殺人・親族殺人が異常に増えた。
何が原因で、親が子を、子が親を殺戮するのか、そこに至る経緯や動機は他の金銭目的や性犯罪がらみの殺人事件の例と違い、非常に解りにくい。
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 判決を受けてなお、動機の解明に至らぬ事件が数多く存在する。
  特に子供が犯人(容疑者)の場合は一層困難となる。
 報道機関やジャーナリスト、或いは専門家でさえ動機の解明、或いは真実に迫れない
ジレンマに陥るケースが増加しているのではないだろうか。
もちろん法律の壁なる問題もあり、子供の心底の心情を把握できぬままに大人が粛々と、或いは法手続きに従い事務的に、その子供の将来を決定して行くのであるが、それ自体は個人的感傷を抜きとして、仕方のない、やむをえない現実だと考えられる。

 自分を生み、育ててくれた母親を父親を殺害した子供が、第三者である他人に心を開くとは考えにくい。 (短い時間の間に・・という前提だが)
心理学者の他人事的学者的解説にも、今ひとつ納得が出来ないのが、我々一般人の感情ではないだろうか。
 原因や動機の発生が精神医学の分野へ移行すれば、大抵の場合その事件は落着したと受け取られる。そのこと事態もある意味現代社会の厳然たる仕組みのひとつであろう。
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 要するに、一般の良識ある人々はマスコミの一部のエリート層と呼ばれる偏向意識の持ち主より、人生経験と人情を持ち合わせているということだろう。
 その良識ある一般人から見れば、100件の事件が発生すれば、100件の動機が存在する、という感覚や考え方は、あたりまえの話である。

 では、その動機を知ったとして、「人々はどのように自分や家族に当てはめて、おぞましい惨劇を未然に防ぐか」などという、人生経験の乏しい、いわゆる著書や判例、学術研究発表からのみ知識を得た、学者やニュース解説者がいたとしたら、見当違いも甚だしい。

 一体何をどう当てはめようというのだろうか、ありえない事、あってはならない事が現実に発生しているという事実を認識するだけで充分ではなかろうか、個人其々の心(脳)の奥の深層心理や感情は千差万別である。
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 恐怖・怒り・恐れ・悲しみ・憎しみ・・・は、それぞれ個人によって温度差があるものだ。
一人の人間の感情を他の人間に当てはめる事は、心理的にも行動の面からも無理を生じるだけである。

 それより、新聞テレビ、マスコミ各社は事実だけを報じ、間違ってもセンセーショナルに取り上げないことだ、それこそが、次の犯罪のトリガー(引き金)になる可能性があるからだ。


 家族間殺人は昔から続いている。

 姥捨て山や間引き(生まれてきた子供を殺す)など、貧困が原因の悲惨な風習は、昔から日本社会の根底で容認されてきた経緯がある。
一家無理心中などは、現在社会においても続く、やるせない行為である。

 介護疲れ、病気を苦にして、借金のために、その他諸々の原因で死を選ぶ人が、いまだに世の中に存在するという悲しい現実がある。

 最も身近な者を道連れにするのは、許しがたい行為であり、同情の余地も無い。
『可愛そうに・・』『気持ちはわかる・・』などは、無責任な放言だと思わなければならない。

 人を、生き物を殺すという罪はどのような理由があっても許される行為では無い。
社会全体が曖昧な態度をとらず、この種の犯罪に厳しい目を向ければ、ある程度の抑止効果は生まれてくるだろう。
 同時に、悩み苦しむ人を無謀な行動に駆り立てない、社会全体の仕組みや保護制度も進めなければならないだろう。
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 夫婦喧嘩、親子喧嘩はしたほうが良い。

 つい最近イギリスの学会「人間の寿命に関する研究」で、夫婦喧嘩をする人のほうがしない人より10年以上長生きをする、というユニークな結果が発表され注目を集めた。
それによると、喧嘩をしない夫婦は相手との摩擦を避けるため、言いたい事があっても言わずに我慢をする。結果的に不満や怒りが蓄積されてストレスになり、やがて疾病を引き起こす原因となるから、寿命が短くなるという。

 それに反して、絶えず口喧嘩や言い争いをする夫婦は、自分の思いや考え方を吐き出すことでストレスが溜まらず、議論する中で脳の活性化にも繋がるというのである。

 真偽の程はともかくとして、この中で気になるのは「相手との摩擦を避けるために・・・我慢する」というくだりである。

 これを日本の最近の家族間殺人事件に当てはめてみると、ボンヤリでは有るが輪郭が見えてくるような気がする。全ての事件に共通とまでは言えないが、家庭内で摩擦を避けるために心を閉ざし、怒りや恨みを永年にわたり蓄積させていく家族がいるとすれば、恐ろしい結果を生み出す要因の一つとも考えられなくは無い。

 溜まりに溜まった怨念や憤怒が爆発するとき、それは最悪の結果をもたらすものとなるのである、火山の噴火か地震のように。

 人間も自然現象も理屈は同じである、許容量以上に溜まったものは外へと噴出せざるをえないわけである。 日頃から溜まりかけたエネルギーを小出しに放出しておけば、大噴火は免れる。
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 人間で言えば、議論でありコミニュケーションである、もっと言えば「小さな言い争いはしたほうが良い」と言えるのではないだろうか。

 我が家では、家族が集まれば全員が常に自己中心で言いたい事を言っている。
時には小さな喧嘩になることもあるが、大抵の場合喋りつかれて眠ってしまうのがオチである、おかげで深刻な家族間の争いや、憎しみの感情とは、全く無縁だ。

     これが、我が家族の哲学である。

by mahalotakashi | 2008-01-31 00:38 | mahalo@哲学