幸福だから笑うのか、笑うから幸福なのか、  2007年9月30日

毎月末恒例の「手付かずの哲学」
今月は、「笑い」について哲学してみよう。



 最近大笑い(爆笑)をしたことがあまりない。

d0083265_20465454.jpg 子供たちが離れて妻と二人暮しであるから、笑う要因が減ってきたことも原因の一つだろう。家族が多いときは誰か笑わせてくれる者がいたり、その行動や仕草で笑いを誘発してもらう場合が多々あった。
 現在笑うと言えば、テレビのお笑い番組やブログの面白投稿に「クスッ」と微笑む程度である。これは都会で一人暮らしする若者や、単身赴任者、独居老人にも形は違うが共通する状況ではなかろうか。

 古来から東西の哲学者や社会学者、それに詩人などが「笑い」について哲学をし考察しているが、笑いを定義するのは案外難しい。
一般的にいえば陽性の感情の中で顔面が特有の緊張(笑顔)をすること、同時に特有の発声(笑い声)を伴うことが「笑い」の状態といえるだろう。

 自分以外の対象(家族・友人・知人・芸人・タレント・・)があって、それから受ける印象に基づいて、それが好意的であれば表情に「笑い」がでる、そして特に刺激的な場合は発声「笑い声」が伴う。さらに程度がひどくなると全身が引きつるような動作とともに涙さえ出てくる。

 まあ解りやすく言うと、笑いとは、楽しかったり、嬉しかったりなどを表現する人間特有の行動の一つであるということ。
全く自発的な場合もあるが、他人の行動や行為に対して、「笑う」という表現を通じて自分の意思を伝えることにも使われる。
 同じ発音だが「嗤う」と書くとあざけりの意味が含まれる。


 笑いの医学的、生理的な効用

d0083265_20511980.jpg 笑うという行為は身体に良い影響を及ぼすといわれる。笑うことで頬の筋肉が働き動くことにより、ストレスを解消し、また鎮痛作用たんぱくの分泌を促進させ、ストレスが下がることにより血圧を下げ、心臓を活性化させる運動の状態と同様の症状を及ぼし血液中の酸素を増し、さらに心臓によりよき影響を与えることから、循環器疾患の治療に「笑うこと」が用いられている事例もある。

 また笑いによって自律神経の頻繁な切替が起こり、交換神経と副交換神経のバランスの状態が代わり、副交換神経が優位な状態になる。
副交換神経は、安らぎ・安心感を感じているときに優位で、副交換神経が優位な状態が続くとストレスが解消される。
 反対に交換神経は、怒りや恐怖を感じたときなど異常な事態のときに優位になる。したがってその状態が長く続くとストレスの原因となる。

 笑うという行為で身体中の様々な器官に刺激が与えられることも証明されている。
NK細胞(ナチュラルキラー細胞)が活性化しガンの予防と治療の効果がある。自律神経の頻繁な切替による脳への刺激により、神経ペプチド(免疫機能活性化ホルモン)が全身に分泌される。

 その他、糖尿病の治療に有効との研究もあり、病理学的見地からみて様々な効用もあるが、これ以上は紙面の都合上割愛する。


 笑いの発達と笑いの分析

d0083265_21333916.jpg 笑い(微笑)は生まれたての赤ん坊にも観察される行動だ。起きているときだけでなく、睡眠中にも規則的な周期を伴って生起する。これは「新生児微笑」と呼ばれるもので、養育者(主として母親)の注意を引き自分に対する関心を維持させる機能を担った「生得的行動」と推測されている。
 実際「新生児微笑」に対して養育者は高い確率で「ポジティブな応答」を返すことが知られている。

 このような相互作用の結果、乳児は2~3ヶ月の頃から社会的交渉を持つために、周囲の者に対して自発的に微笑を向けるようになる。
「笑い」とは外れるが、動物の赤ん坊が可愛く愛くるしいのも、生き残る為の自然の造型だと言われている。

 一般的に「笑い」というのは、「構図(イメージ)のずれ」と分析されている。少し長ったらしくなるが、最近我が家族間で起きた「構図のずれ」による笑いを紹介してみよう。

【ほら話でない、ほら貝の話】
 先日妻の実家で法事があった。平日だったので男性陣は勤務の関係上お参りできなかったが、妻と娘が参列した。
 これは妻が帰宅後語った話。法要のため真言宗の寺院のお坊様にお願いして、仏壇の前でお経を読んでいただく事になった。このお坊様は中々に気さくな方で私もよく存じている。仏教を解りやすく人々に伝えたいとの趣旨から、経文を解りやすい形にアレンジして参拝者と唱和する形式をとったり、木魚、鐘、ほら貝などを使って法要や仏事を執り行う事で有名な方だ。

d0083265_20382344.jpg で、重々しく始まった法事の席、読経が終ると同時にお坊様が恭しく取り出したほら貝を、仏前に向って吹き始めたそうだ。それと同時に娘が噴出した(洒落を言っているのでは無い)笑いが止まらなくなり、娘は悶絶し下を向いて笑いを堪えるのだが、一向に収まらない。肩を震わせ涙を流しながら笑いを静めようと苦労していたらしい。
『まったく、不謹慎な子よ!』と女房はかなり怒っていた。しかしその後彼女の口から出た言葉に今度は私が噴出した。
『でも、あのお坊様、ほら貝の吹き方が下手なのよ・・まるでオナラみたい・・』

 たとえ話が不謹慎であるが、これが「構図のずれ」からくる笑いである。
「お坊様は真面目で威厳があり、修行も積まれて徳のある人で、人前で失敗したり滑稽なことなどするはずが無い」というのが娘の持つ「構図(イメージ)」である。
 その構図が見事にずれたことによって笑いが起きたことになる。

 しかし人生経験豊かな妻や出席した親族たちの構図が「お坊様に権威があるとは限らない」「ほら貝を吹くときに間違った音を出すのは、意外な出来事ではない」などを含むものであったと思えるので、構図のずれが発生しなかったのである。だから笑いが起きなかったのだ。

 同じ出来事に対して笑いが起きるかどうかは受け手の持つ構図に依存すると言える。

若い娘に対して「箸が転んでも笑う」という例えが、これで理解できたのではないだろうか。


「笑い」は奥が深い
d0083265_20574214.jpg 笑いを哲学するなら膨大なページ数を必要とし、とても素人のブログで理解させ結論付けできるものではない事は充分に解っている。
 それでも、人間として生を受け数限りない場面で経験してきた「笑い」という行動を通して、なんとなく解りかけてきた笑いの哲学。
もう少し掘り下げてみたいという興味が尽きない。

真の笑いはどこにあるのか、仏像の微笑が究極の笑いだと言う人もいる。日本人は特に笑いに拘る傾向が顕著だ。
 笑いを表す表現(言葉)もその数の多さに改めて驚く、又昔から笑いを職業とする人々が多い国もやはり日本だろう。「笑う角には福来る」機会があれば再度哲学してみたい。


(笑いに関連した日本語)

 笑顔・微笑・爆笑・大爆笑・失笑・苦笑・照れ笑い・愛想笑い・泣き笑い・含み笑い
 薄ら笑い・せせら笑い・作り笑い・思い出し笑い・独り笑い・高笑い・馬鹿笑い
 追従笑い・貰い笑い・・・・・・・・まだまだ、笑いは星の数ほどある・・(笑)

by mahalotakashi | 2007-09-30 14:50 | mahalo@哲学