人気ブログランキング |

娘の結婚                     2007年3月8日

 アートする娘

 長女の結婚式が2日後に迫ってきた、生憎当日の土曜日は曇りのち雨の予報だ。
それ以外の日は晴天の予報なのだが。
 これまで、娘の結婚については余り真面目に語ってこなかった、「イボイノシシの呟き」や、その他のカテゴリでおふざけ気味に発表はしてきたが。父親としての“テレ”というか、なんとなく他人事的に自分のポジションを置いて、冷静に見守りたいとの格好つけの部分も多少ある。

 今の気持ちは?と聞かれると、「嬉しい」「寂しい」「心配」の三つの言葉しか浮かばない、でもこれが、正直な本心である。

 少し長くて、くどくなるかも知れないが、今日は娘のことについて真面目に語ろうと思う。明日からはもとの「ちゃり親父」「イボイノシシ」にもどって、大はしゃぎしてやろう、と思っている。

 結婚式の日取りが決まってからの、娘の行動を見ていてある想いを抱いた、「彼女はアートしてるな」と。芸大を卒業してからも個展を開き、自分の作品を世に問う彼女のひたむきな姿をいつも微笑ましく見てきた。阪神淡路大震災の後に親子展を開催したこともある。
自分の部屋に閉じこもり、ひたすら作品造りに没頭する彼女の表情はいつも生き生きしていた。同時に眉をしかめ厳しい顔をすることも度々見かけた。壁に突き当たると、時々私に相談してきたこともある。

 実は私も若いときに芸術を目指したことがある。家庭の事情で最終学部まではいけなかったが、アートに対する思い入れは今も消えていない。母校には今でも私の作品(彫像・絵画)が製作見本として展示されている。
 それゆえに、娘が芸大を受験したいと相談してきた時は、もろ手を上げて賛成した。大学受験に関しては色々挫折もあり、若き日の彼女には耐えられないほどの試練であったろうと思う。確か何度目かの志望校受験に失敗したとき、娘の余りの落ち込み様に心配して、私と妻と娘の三人で、気分転換にと日本海を眺めにいったことがある。舞鶴港や天橋立に連れて行き、娘を慰め励ましたことを昨日のように覚えている。

 無事入学できてからは見違えるように明るくなった、数多くの友人も出来たようで、学内でも評判の活発屋さんで通していたようだ。最初の作品は大きな、ベッドほどありそうな人間の「手」であった。5本の指を広げ誰かに向って差し伸べた感じの手の平。小鳥を留まらそうとするのか、赤ん坊を抱こうとするのか、意図は聞かなかったが暖かい作品だった。

 十数年経た今、彼女の表情はまさに個展発表前の、それ、なのである。一心不乱だ。
さすがに入れ込みすぎと見て、「相手もあることだし、結婚生活のための結婚式披露宴であって、披露宴のための結婚ではない!勘違いするなよ」とアドバイスと注意も何回かした。

 泣いても笑っても後2日、娘と婚約者のアートはほぼ完成したようだ。今回のアートは色々決まりごとやしきたり、それに制約もあり、娘と彼もかなり苦労しているようだ。相手先のご両親と私たち夫婦も今回脇役で参加する。例えてみれば、絵画の額縁か彫刻の台座のようなものだ。額縁や台座が目立ちすぎてはいけない、かと言ってみすぼらしくても作品の価値を下げてしまう。これはこれで結構気を使う役割だ。


 娘とピーター・ポール&マリー
 つい最近、米国のシンガーでPPMのメンバーのノエル・ポール・ストウーキーが来日した。北朝鮮に拉致された「横田めぐみさん」のために作った「めぐみさんに捧げる歌」を日本で発表するためだ。ポール氏は確か私より9歳くらい年上の筈だ。テレビでぼんやり見ていたが、ふと子供の頃の娘を思い出した。

 私が丁度現在の娘と同い年くらいの時、小学生だった娘によく歌って聞かせた歌がある。PPMの曲で、500MILES(500マイルも離れて)だ。マリー・トラヴァースの物憂げな声がなんとも言えない癒しを与えてくれる、私にとってはトップクラスの思い出の名曲だ。

 自宅で娘を座らせ、ギターを弾きながら切々と歌った。車の中でも助手席の娘に語りかけるように歌った。その都度娘は大きな瞳から涙をポロポロ流して、聞き入ってくれた。
歌い終わった後に、この歌の内容を説明してやった。

 実は全く違う内容を彼女に、あえて教えたのである。

 500 MILES
If you miss the train I’m on, you will know that Iam gone
you can hear the whistle blow a hundred miles
       ・・・・・・・・・・・ ♪ ・・・・・・・・・
Lord I’m one, Lord I’m two, Lord I’m three Lord I’m four
Lord I’m 500miles from my home


 歌詞を読めば分かるように、これは別れの歌である。
恋人が気付かない間に(或いは眠っている間に)私は汽車に乗り、500マイル離れたところへ行こうとしている。恋人(家族)との別れの歌なのである。徐々に離れて行く、私の家から500マイル来た(Lord I’m 500miles from my home)という、切なく悲しい歌だ。

 勿論、当時の私は歌詞の内容をしっかり把握していたが、ストレートに彼女に説明せず、「この歌はね、子供が自分のお家に向って500マイルも離れたところから、パパ、ママ、待っててね、と言いながら、1歩づつ帰ってくる歌なんだよ」と教えた。
 純真な心の我が子に、悲しい真実を教えるのは忍びなかったし、そうあってほしい親心でもあった。
 今も、ひょっとしたら娘はその通り信じているかも知れない。
この歌を娘に聞かせる時、いつも心の中にあった思い「いずれこの子も離れて行く時がくる」なんとも切なくやるせない感情であった。

 今、そのときが来たわけだ。もう嘘の歌詞を教えるのは止めよう。歌詞の中の500マイル(約800キロ)も離れるわけでは無いのだから。
 ある種親のエゴイズムだが、いつまでも手元に置いておきたい、という理由だけではなく、愛情と思いやりを持って成長して欲しいとの願いもあった。

 普段は馬鹿話をしたり、飲んだり喰ったりの遊び仲間みたいな親子だが、娘はなにか重要な決断をする時、必ず相談してしてくれた。私も真面目に応えた。
今回の結婚についても、色々思い巡らすこともあったようだが、真剣に相談してきたので真剣に考え、真剣に答えた。
 幸い相手の彼も非常にいい男だ、何回も我が家に来たがサッパリしている。うまくいくだろう・・行って欲しい。

 一卵性双生児みたいな親子などと冷やかされるくらい、感性や好みの似通った二人だが、娘はある程度「自分」を見つけてくれたようだ。冒頭に「心配」と書いたのは、私自身の欠点を場合によれば受け継いではいないだろうか、だとすれば今後の家庭生活がどのように展開するか心配・・という気持ちであるのだが、彼女は愛と思いやりの心を、自分自身の様々な体験の中から、会得してくれたようだ。


 いらぬ心配は止めて、明るく送り出してやろうと思う、心の中に500MILESを封印して。

by mahalotakashi | 2007-03-08 14:15 | mahalo@哲学