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出会いから関わりへ・・・        2007年1月7日

 久しぶりに哲学してみよう。

 新年も明けて早や7日、今日は七草かゆを頂く日だ。
忘年会や新年会それに三が日のご馳走に疲れた胃袋を、休息させるためにはピッタリの日だろう。
暮れのNHK紅白歌合戦の視聴率が、関西地区で史上最低のワースト記録を達成したそうである。特に取り上げる問題でもない、視聴率低下の原因は小学生でもコメントできる筈だ。


 今日は、人と自分がどのように関わればよいか・・と言うテーマで、軽く考えてみよう。

 人は生まれついてからその生涯を閉じるまで、膨大な出会いがある、これは以前書いた。
出会い・認識・選別(他人の場合)・そして関わりが始まる。
自分が相手とどう関われば良いのか、人は時として戸惑う、夫婦関係・親子関係・親族・友人・仕事関係・男女関係・・・・・様々な関わりが絶え間なく繰り返される。
 
 この「手付かずの哲学」の冒頭で話したように、人の感情や生き方はそれぞれに個性があり、これが正解!と言うようなものは無い。しかし一般的に・・・と言う性善説に頼って探ってみると、シンプルではあるが頷けるパターンが垣間見えてくる。


 良きサポーターとアドバイザーになること。

 ここではテーマを絞ってみる。
簡単に答えが出そうで、実は大変奥の深い関わり、親子の関係・友人との関係の二択にしてみよう、もう少し複雑な男女・夫婦・ビジネス・その他の関わりについては、次回にする。


(親子関係)
 私には二人の子供がいる、長男と長女どちらも三十路だ。
長男は結婚しており、二人の娘がいる。
長女はこの春結婚の予定だ。
二人が幼児のころは私も若く(23歳の時に長男誕生)現在のような、それなりに落ち着いた心境ではなかった、子供共々生きることに必死だった。

 今振り返ってみると、結構ムチャをしたもんだと思うことも多々ある。自分の感情をもろに子供にぶっつけていた、叱る・・ではなく、怒る・・ことも、ただ二人とも可愛くて可愛くて仕方なかった(親ばかであろう)この子供たち(妻も含め)を絶対幸せにする!との昂ぶった感情を常に持ち続けていた、自分の若さからくる短絡的思考で職業を次々に変えた、より良き生活を与えたい・・・それだけの理由であった、後にその生き方が逆に裏目に出て子供や妻に辛い思いをさせた時期もあった。
そのときの私には、哲学(自分の環境を冷静に分析する)がなかったのであろう。

 当時の私は子供たちにとっては、熱血指導をする体育系の監督か、精神主義を押し付ける宗教家、あるいは刑務所の看守みたいな存在ではなかったろうかと思う。
それはそれで全部が悪かったとは思っていない、二人の子供がそれなりに、良い面を吸収してくれたと信じている。気が付くと二人は大人になっていた、と言う次第だ、父親の投げるボールを見極めながら、上手に打ち返してき始めたのである。
その時点で私の子育ては終了した、娘が大学を卒業した時期くらいだと考える。
 そして二人は、私のかけがえの無い友人となった。


(友人関係)
 地域で、学校で、職場で、人が集えば馴染みができる。
そこに友情が芽生え、友人が現れる、同じような趣味や感覚、似通った環境生い立ち、様々な要素を敏感に感じ取り友達関係が生まれる。

 友達との関わりが、その人の人生観や運命をも左右する場合があるから、案外おろそかにできない。
戦友、と言う言葉がある、職場やスポーツの世界でいまだに使われる表現だ。まったく同じ環境に置かれ、同じ目的に向かって突き進んでゆく、訓練や練習に明け暮れる厳しい現状の中で、励ましあい慰めあい協力しながら生きて行くのだから、友情が生まれて当然だ。

 時に戦友は友のために自分の命を賭ける場合さえある。
そこまで行かなくとも、友のために真剣に考え悩み、行動により協力を惜しまない関係が、親友であろう。

 それほど重くない関係、いわゆる友人と言う関係における関わりは以外と難しい、好きと嫌いは表裏一体、昨日まで誰もが羨ましむくらいの中の良い友達が、突然口も聞かなくなる。
若いときに誰でも一度か二度経験済みだろう、原因がよくわからない、なぜ彼(彼女)は離れていったのか・・納得のいかぬうちに友情が消滅していた、と言う経験だ。
これが拗(こじ)れると,「いじめ」になる。

 では、どのような関わりがベターなのか?
「哲学」を持つことだ、難しいことを言うのではない、どう向き合うかというときに心の中に自分なりの哲学を持て、と言うことだ。

 私の場合、常に二つの要素を確認しながら友人と接してゆく。
①相手の熱烈なサポーター(フアン)になる。
 関わる相手に興味を持ち応援する、球場やコンサート会場に赴く感情、いつも新鮮な気持ちでワクワクしながら対面する。
贔屓の選手やシンガーが見せてくれるパフオーマンスを、心行くまで楽しめばよいのだ。
時には小さなブーイングをすることもある、それがSUPPORTERなのだ。

②より良きアドバイザーになる。
 悩みを打ち明けられたり、相談を受けたときに、自分の能力の範囲内でアドバイスをする、そのときはまじめに真剣に考えて答えること、どのような些細なこと(自分から見て)も、相手にとっては深刻な悩みの場合もある。
自分の持てる能力や力量以上のことは出さないこと、わからないことはわからない、とハッキリ伝えること、そこが重要だ。


 最後に・・
 友人関係の関わりでは、間違っても批評家や指導者にならないこと。


批評家(Critic)は、他人の考え方や政治・経済・演劇・スポーツその他あらゆる分野で専門的に分析して、それを世に(第三者)に発表する職業だ、どの分野においても直接当人に向かって批評や批判はしない。
 テレビや新聞で総理大臣の政策を痛烈に批判する文化人、総理本人の前で同じことが言えますか?
友人のことを批評する資格はアナタには無い!その時点で友情は消えている。

 指導者(Leader)になってもだめ、贔屓のチームや歌手に「ああしろ・こうしろ」と言うフアンやサポーターがいるかな・・「こうあってほしい」との気持ちがあっても、口に出しては駄目、多少の問題点や癖があっても、それを楽しむ余裕をもって付き合えば、逆に味が出てきて、友情がよりいっそう深く楽しいものになるのである。


 新年早々、ダラダラくだらないコメントを発信したが勘弁してください。
少しでも参考になればと考え、二日酔いの頭を振りながら思いつくまま書いてみました。

 新しい出会いは既に開始されている筈です、より良き友人をつくるために、大いに励みましょう。



 
 

by mahalotakashi | 2007-01-07 11:30 | mahalo@哲学