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静から動への転換期            2006年10月20日



相変わらず出会いと別れは絶え間なく続いている。

前回の投稿から何日が経ったのか定かではないが、様々な出会いがあり、

別れがあった。

勤務先の社長や役員それに総務課の人間と久しぶりの出会い、

私を求めてくれた業界の人々との別れ。

業務上私生活に関わらず記憶のボックスに残らない出会いと別れが

海辺の波のようにあるいは砂浜に吹く風のように押し寄せては引いていった。


少し寄り道をしてみよう。

大きな別れであった母の死から一年、喪中というしきたりの中で静かに

暮らしてきた、死という別れはどのような形であれ後を引く、生きて残された

人間の記憶ボックスに強烈なインパクトを与える。

ショックから立ち直り自分の行いを振り返り心の整理をつけるまで、やはり

一年はかかる。

仏教哲学は人間の心理、行動パターンを的確に捉えている。

四拾九日、初盆、一回忌、亡き者を思いつつ、そしてやがて日常生活に

ユックリと回帰して行く、最愛の人、かけがえのない人を失っても、

人間は悲しみを乗り越えて生きていかなければならない、

次の出会いと別れのために。


母の命日の四日後、10月8日に娘の彼と初めての出会いをした。

そして明日の午後彼の両親との出会いが待ちうけている。

娘と彼は一連の儀式のため忙しく動いているようだ、相談をしながら

意見を交わしながら自分達とその周囲に最大限の気配りをしながら・・

二人の記憶ボックスはフル回転だろう。


同時進行で妻の母の病状が悪化している、亡き母と同い年だ。

義母は営業職が長く知識が豊富で聡明な人だ、またユーモアのセンスも

長けており尊敬する女性の一人だ、何年か前淡路島で開催された花博に

出かけた時、義母の車椅子を押しながら色々お喋りしたが受け答えの

洒脱さに大いに感動したことを昨日のことのように覚えている。

2ケ月前から入院をしている、妻やその姉達が代わる代わる看病に

でかけている、衰弱が激しく意識も殆どない状況と聞く。

母の死直前と同じ状況だ、この日曜日(10月22日)にお見舞いに

出かけるつもりだ、最後の出会いそして別れになるかもしれない。



出会いと別れが一時に凝縮されて自分の目の前に突き付けられている。

人間はなんのために生きているのか・・の答えが見えるかもしれない。



静から動への転換期、心のスタンバイはできている。

by mahalotakashi | 2006-10-20 21:13 | mahalo@哲学