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毎月末の、手付かずの哲学。       2007年7月31日

しんぱい【心配】[名・形動]スル

 物事の先行きなどを気にして、心を悩ますこと。
   と、辞書に書いてある。
 果たして世の中に心配事の無い人間なんて存在するだろうか・・・・哲学してみよう。





 【心配】に(性)を、つければ【心配性】・しんぱいしょう・
ささいなことまで気にかけて心配する性質。とある。ひらがなの(り)をつけると、【心配り】
・こころくばり・となる。あれこれと気をつかうこと。心づかい。配慮。などと説明されている。

毎月末の、手付かずの哲学。       2007年7月31日_d0083265_1959938.jpg(心配の種)
 人間であれば誰でも大なり小なり心配事を抱えている。
これは、明らかな真実だ。脳疾患などで思考力が無くなった場合か、生まれたての乳幼児でもない限り、内面的にも外面的にも何らかの「心配事」を持ち合わせているものだ。

 心配事の原因や要因には実に様々なものがある。個人的な心配事、組織・団体としての心配事、もっと広げれば国家として、民族としての心配事。全地球規模の心配事まで存在する。「地球温暖化」など、自然災害や天候異変に対する「心配」はその最たるものだろう。


 つい先日、イタリア・セリエAのサッカーチームが来日予定をキャンセルしてきた。中越沖地震で損壊した「柏崎原発」の放射能漏れに異常に反応した結果である。
ある選手など『子供が生まれたばかりだ、家族のために日本には行きたくない!』と発言したと言う。「大袈裟な・・・」と思う日本人は多数いるだろう。彼ほどの恐怖心[原発事故に対して]を感じている日本人が何人いるだろうか、或いはそのこと(放射能漏れ)を知らない日本人もいるかも知れない。

 人が心配をする原因は限りなくある、いわゆる「心配の種」だ。この心配の種は、やっかいなことに人によって様々に変化する。
もう記憶に無い人もいるだろうが、白い車に白装束をまとい「宇宙人に攻撃される」などと言って全国を放浪した集団がいた。彼らの「心配の種」は宇宙人。そして今彼らはある場所に居座り心配の種を取り除こうとしているらしいが、居座られた地域の住民の「心配の種」になっているのも、笑えない事実だ。

 今現在、この瞬間も「心配の種」は生まれて、又、消えていく。いつもよりは夜更かしして、このブログを読み始めた“あなた”・・・『明日の朝、目が覚めるかな?寝過ごしてしまわないだろうか』と、チラッとでも考えた、としたら、それが「心配の種」なのだ。『やっぱり、寝よう!こんなくだらないブログはお断り!』で寝てしまえば、一瞬にして「心配の種」は消えてしまう。
心配の種を沢山抱えている人、失礼だが殆んどはこの類の種だと思える。思考の切替一つで半数以上の心配事から開放されるだろう。

 一般的に大多数の人が持っている心配の種は、自分自身の先行きに対すること。即ち病気や怪我などにならないかの心配、仕事上で或いは付き合いの上で失敗しないだろうか、嫌われないだろうか、損をしないだろうか、騙されないだろうか、裏切られないだろうか・・その他諸々、これから自分自身が行おうとしている行為(或いは選択・決断・環境・・)の結果、生み出されるかもしれない「悪い結末・結果」を心配することである。
これは人によって様々だ、年齢・性別によっても違いが出る。自身満々、心配など微塵も感じない人も、ヒョットすればいるかも知れない。他人から見て、なぜ、そこまで心配しなければならないの?と思われるほど、慎重で神経質な人もいるだろう、千差万別だ。

 次に自分自身以外のものに起因する「心配の種」
親が子を、子が親を心配すること、妻と夫、兄弟姉妹、恋人、友人、教師と教え子、同僚・・・・身近に存在する相手に対しての心配事。
犯罪、交通事故、市政・国政、教育、軍事、外交、社会情勢に対する心配事。
最近では中国からの輸入食品や、偽装牛肉事件、悪化するアフガン・イラク・パレスチナの問題等、テレビやインターネットの普及で情報は日夜溢れ返っている。朝目覚めれば「心配の種」が待ち受けている状況だ。
 
 心配の種は、無限にあるということだ。


(心配事をどう処理するか)
 私のブログタイトルは「なんとかなるさ」にしている。少し荒っぽいが、これが私の「哲学」である。
60年の人生で、文字通り「なんとかなるさ」 “なんとかなってきた” のである。そのなんとかなった歴史の上に今日の私が存在している分けだ。

 幼い時に大病を患い30歳まで生きられるのか?という両親の「心配の種」だった私は、現在病気一つすることなく、満員電車に揺られて会社へ通っている。(皆勤賞である)

 妻が最も「心配の種」として、長らく抱えていた娘の結婚。婚約から半年足らずの今年3月アッと言う間に結婚披露宴・・・「心配の種」は一瞬にして消えた。

 団塊の世代、老後はどうなる??が友人知人の「心配の種」・・反対に何も心配してない「なんとかなるさ」の私は、特に大きな働きもせず、永年勤務した今の会社に「嘱託」として再就職、毎日若い社員と「馬鹿話」をしながら楽しく働いている。

 以上の3点だけでも、私にとってはなんの心配もせずに迎えた「なんとかなるさ現象」なのである。「心配するだけ損」「心配してもしようがない」「心配してもしなくても、なるようになる」

 「心配でたまりません・・」というより「心配するな!」の生き方を選んで間違っていなかった、と今も思ってる。ただ若干反省するのは、この生き様で周囲の人間に大いなる「心配の種」をばら撒いたことであろうか。

 ブログを覗いてくれてる「あなた」・・なにか、心配事ってあります?
『大有りだ!!』と、言う方もいるかも知れないよね、でも、ほんとうに心配するようなことか・・一度冷静に客観的に判断すべき、だと、オジサンは思うね。
 心配する、と言うことは、心を悩ますこと。言えばストレスを生み出すということだ。ストレスによって生じる疾病や悪環境は深刻だ。オジサンはその辺を「心配」するね(笑)


 「なにも心配するな!」などとは言えない。自分自身にとって未知で未経験の事象には心配することもある。心配=危機及び危険に対する備え。と定義すれば、「心配事」も重要な感覚であるとも言える。しかしあまりにも心配しすぎることも、問題だ。

 個人によって様々な生き方や考え方があるから、これが正解!というような方式はない。しかし、ハウツー的にいうなら、「心配事」の分類をすればよい。
心配事を自分自身の心の中で、(大)(中)(小)と分けてみる。たとえば、『明日ビヤガーデンに行くけど雨が降らないだろうか・・』『プレゼント贈ったけど喜んでもらえるだろうか・・』シチュエイションは様々あっても、この程度の心配事は(小)・・心配するだけの価値なし。

 次に(中)・・『付き合っている彼(彼女)の気持ちがつかめない・・どうすればよいか・・』『ダイエットしなければ、行く末は大病を招くかも・・』『借金が一向に減らないどうすれば・・』
 解決可能な「心配事」は積極的に解決すること!結果をとやかく考えては駄目!考えたり、心配する前に行動すること!周りの目は意識しないこと、チャレンジすることが大事。できなければ「余計な心配せずに、成り行きに任せること」

 (大)大きな「心配事」は、外部からのものや、自分の持って生まれた性格、環境、思考から生じる場合が多い。『親が重病で入院している』『勤め先が倒産しそうだ』『身体が思わしくない、なにか重大な病気だろうか・・』『自分の行き方はこれでいいのだろうか・・』

毎月末の、手付かずの哲学。       2007年7月31日_d0083265_20173485.jpg 解決策として、私の場合は頭(心)の中でしばらく封印することにしている。ブラックボックスのような頑丈な箱をイメージして、その中に悩み事、心配事を入れて鍵をしてしまう。少し訓練すればできるようになる。一定期間(自分で決めて)開かないようにする。解りやすくいえば鍵をかけている間はそのことに思いを馳せない、忘れてしまうという事ではなく、少し横に置いておく、と言うことだ。何ヶ月か何年か先に、ブラックボックスを開けたら、「影も形も無くなっていた」ということが往々にしてある。(心配した事が馬鹿らしくなる)
 COCKPIT VOICE RECORDER


 一昨年、昨年と続けて同じような病状で、母と義母(妻の母)を亡くした。それぞれ長期の入院だったので最初のうちは「心配で心配で」ノイローゼになるのではないか、と思ったこともある。電話の呼び出し音にドキッ!としたことも、1回や2回ではない。そのうち封印の方式を取った。夜もグッスリ眠るようになり、仕事もはかどった。その時は1週間区切りで「鍵」の開け閉めをした。今思い返せば、程よい自己コントロールが出来た、と満足している。

 要は、心の持ち方と自己コントロールができるかどうかの話で、自分で自分を追い詰めてはいけない、ということである。


 それと、これは哲学というより若い方へのアドバイスだが、心配の種を少なくしたいと考えたら、よりよき友達(同姓のほうがいい・異性だと余分な心配の種が生まれる)を創るべき。何かを始めよう、何かにチャレンジしようと思う時、それを理解して見守ってくれる友人がいれば「心配の種」は驚くほど少なくなる。



 めんどうくさい!と思う方は、
イボイノシシの「なんとかなるさ」 
<くよくよ考えても仕方が無い、なるようになればいい!それから考える>
 
を実践してくれればよい。


 世の中、なんとかなるのである。

by mahalotakashi | 2007-07-31 11:11 | mahalo@哲学